この世界では、
”言葉”が魔力を持っていた。

咲夜

雨垂れの前奏曲

骨牌/咲夜 > (それはある夏の日の事だった。風呂桶を引っ繰り返したかのような豪雨、雲間からは光が降り注ぎ、周囲は明るいにも関わらず雨は降り頻る。可笑しな天気だ。弾ける雨粒に泥が飛び、生きものの死んだ臭いが鼻腔を満たした。通り雨だろうと民家の軒先を借りてみればどうやら先客がいたらしい。日陰に立つ男性に会釈をして豊かな白髪を飾る雨の雫を手で払っていると、はたと思い出すことがあった。どうしてこんな大事なことを忘れていたのだろう、彼は退役して久しいが位のある職を務められた人だ。自分に負けて座を追われた人でもある。そのお顔を忘れるだなんて失礼な話もあるものだ。強い苛立ちを感じながらも咲夜は穏やかな調子で先客へと言葉を掛けた)お久しぶりですね、お顔を拝見しなくなってから随分と経ちましたが、息災でしたか?(そう訊ねると、相手は驚いたような顔をして、考えるように視線を彷徨わせてから静かに告げた。)   (7/6 04:50:50)
骨牌/咲夜 > ――。(絶句した。『父は5年前に死にました』どうやら旧友だと思った相手はその人の息子だったらしい。食い入るように旧友によく似た顔を見上げていると『よく似ていると言われます』とどこか他人行儀に言われた。あの人に息子がいたのは知っている、一緒に遊んでやりたいのだが、これまでは遊ぶ時間が取れなかったと、彼は軍を離れる日、家族写真を箱に大切そうに箱にしまいながら、笑って言ったのだ。その言葉が強がりだと咲夜は知っていた。軍に未練がないわけはない、しかし派閥争いに負けた彼の椅子はもうここにはないのだ。雨があたらぬよう大切なものが詰まった箱を胸元に抱えて足早に去る、さびしそうなその背中を咲夜は軍の屋根の下から見送った。あの日も、確か夏だった。)   (7/6 04:51:02)
骨牌/咲夜 > えぇ、必ず。(『線香をあげに来てください』という彼によく似た息子の言葉に、咲夜は魂の抜けたような声音でそう返した。彼の葬儀は何時だったのだろう、彼くらいの立場の人ならば小さくはない葬儀だった筈だ。後に残された細君の生活は大丈夫なのだろうか、彼の椅子を奪った自分には彼の家族の面倒を見る義務がある筈だった。それなのに……、亡くなったことすら知らなかった。『雨、やみましたね』そう言うと、彼は小雨のなかを飛び出していった。その背中が靄に隠れて見えなくなってしまうまで、咲夜は屋根の下から動けず、忘れていたように一歩踏み出すと引き攣るような痛みが走り、それ以上前には進めなかった。   (7/6 04:51:18)
骨牌/咲夜 > 自分の時間は止まったまま、周りの人間だけが年を重ねて死んでゆく。それを哀しく思い始めたのは最近になってからで、父の気持ちが分かり始めてきたのも最近になってからだ。咲夜の父も軍人で随分と高い役職を務めた方だったが、穏健派の筆頭としてなにものにも興味を持たず自分の椅子を守っているだけの人でもあった。一族の仕来りで長く伸ばした白い髪、心ここにあらずというような此の世にわるものを見詰めようとしない瞳。子供にも妻にも優しい人ではあったが、その優しさはどこかよそよそしくて、そんな父を人形のようで怖いと感じていた幼少期。この世に興味をもたないことが父の罪滅ぼしだったのだろうと今はなんとなくだがそう感じている。同期の桜は既に枯れ、彼らの撒いた種が入隊して、自分より早く死んでゆく。そんな姿を見ているとなんにも興味を持たず、ただ粛々と魂を持たぬ人形のように一族の頭目としての役割を果たした父の姿が正しかったのではないかと。物思いに沈んだ瞳に遠くから傘を手に走って来る家人の姿が映った、雨の中傘もささずに主人を追い掛けてくる老爺の姿。咲夜はひとつ冷たい息を溢した)〆   (7/6 04:52:01)