この世界では、
”言葉”が魔力を持っていた。

糸依

餘る言の葉

清瀬/糸依 > 『親愛成る竜灯殿へ。冬を迎えし帝國は弥冴え凍る山風にいと寒し。籠り居度程なれど吾らは軍人なり、童ぐことなく聞き做すがよろしく候。さて乍恐、私は尚貴殿に祈ふ覚悟を持たず。然りとて忝なく存不こと幾許なり。上古の先人は、竜胆花の強く咲きたるに趣をこそ見つき愛でけれ。併し私は、独人残る御華にぞ搔い添ふ者を置くべく思い申し候。青々と咲いし花弁を皆がいとくおぼすならば、私は朱々たるを寵愛せう。貴殿の如き人の得てしがななり、願わくは此の詩を詠みて、私の打ち涼む思ひを汲まんことを待ち申す。』   (12/12 14:03:13)
清瀬/糸依 > (──かち、かち。字を刊んだボール・ペンを、ゆくらゆくら、ぬらぬらと。滑らかなその銅鍍金の姿にぽっかりと空いた線の空間を、指でなぞり、何度も触れる。大いなる愚かな咎人を閉じ込めた、本の檻。床は冷たい紙の絨毯、綴られた文字達は、今は無き先人の物語。さて此迄に何人が忍ぶ想いを吟ったか。密かに綴じた甘い甘い心を掘り返し、私もまた倣う。参考にさせて貰った上司のように教養などはない。己の知るように、糸依の名を以て体を表す。)「士郎、か」(ころころ、白い地を駆けるペンを止め、何となくかの人の名を呟く。字を外枠とするならば真名とは核だ。その人を突き動かし、名の通りの中枢を担う。そこに字という偽り、またはエゴ、或いは戒めの塗料で覆ってやる。私の場合は、理想だ。これから愛すると言われはしても、彼が愛するのは糸依か、それとも。果たしてどちらの私であろうか。私は私のことを嫌っているが、きっと彼は眩しくて、僻む私は霞んでしまいそうで。──ああでも、彼は傲慢だからなぁ。まず二択を迫るのが、間違いなのか。)   (12/12 14:03:26)
清瀬/糸依 > 「……なるようになるも、また憂き世」(言葉を紡がずとも、私は筆硯を呵して伝えてやろう。言わぬが華とは異なれど、私は慎重なのだ。不用意に物を言ってやらぬのが信条。──コトリ。筆を置けば、二枚を纏めて封筒に入れる。可愛げなんてものは必要なければ、秘匿することもないだろう。きっと彼が頼るなら、その時は“お互い様”。──それとも、晒すも面白いか?)「…いやいや」(やめよう、竜灯が見せぬのならそれで良いではないか。何せ大切な告白だ、丁重に届けてやろう。──簡単な謎かけだ。娯楽程度に解かれては、泣いてしまうのが難点だが。)『水瀬河 ゆくらゆくらと 沃懸く浪の え越えざりたし かの御山やは』(重さを、噛み締めて。)【餘る言の葉】   (12/12 14:03:38)