この世界では、
”言葉”が魔力を持っていた。

竜灯

与太話

夕暮れ時の尊華帝國、帝都榮郷。
数週間前の宵宮騒ぎも話題にされる事が少なくなった、街並みの一角。人通りは以前のように戻り始めていた。

「ほれ、頼まれてたブツだぜ。」

商店が立ち並ぶ通りにある呉服屋の店主。濃い無精髭が特徴の男が、店を訪ねてきた羽織姿の軍人に渡したのは綺麗に折り畳まれた細長い布だった。

「おぉ、間に合って良かったぜよ。源さんの染物は良い赤色をしとるの、相変わらず。」

尊華帝國の軍人、字を竜灯は受け取った鉢巻を掴む。両手で掲げると窓から差し込む西日に翳し、満足気に口角を上げた。

「何回も言うが俺が染めてる訳じゃねぇ、裏の店だ。」

呆れた表情を浮かべながら親指で背後を指さして店主、源次郎は溜息を吐いた。その通り、この店は卸された布を用いているだけであって、染色は他の染物屋が行っている。これまでにこの二人の間で何度も繰り返された内容であった。

「まぁ、あながち間違っては居ないけどねぇ。あたし〝達〟のことだろう?アンタは細かい事を気にしすぎなんだよ。」

「⋯⋯伊代。」

奥の裏口から店の中に現れたのは、竜灯と良く似た赤い襷を掛けた妙齢の女性。振り向いた源次郎の口から漏れた言葉、〝伊代〟が彼女の名である。二人の関係は見て分かる通り。

「そうぜよ源さん。伊代さんとおんしは夫婦じゃやいか、もう何十年目がか?そいだけ一緒におったらもう同じでええぜよ。」

夫婦である。それも何十年来の。竜灯が軍人になる為に榮郷にやって来た頃には既に此処で店を開いていた。詳しくは竜灯も知らない事だが、二人で呉服屋と染物屋を開いた事だけは耳にしたことがある。そんな二人だが特に源次郎の方は根っからの職人気質であるが故に、生業に関してはかなり厳格だ。⋯⋯それは兎も角、長年支え合ってきた円満な夫婦ではある。竜灯もそれを知っていたからこそ囃し立てる。照れくさいのかぼりぼりと髪を掻いた源次郎は、一拍の間を置いて再び口を開いた。

「⋯⋯で?竜さんよ、確か明明後日にはまた帝都を発つんだろ?また王国だったか?」

「あぁ、そうそう、そうなんじゃ。」

思い出したかのように表情を変え、鉢巻を手でくるくると弄びながら頷く竜灯。数日前に竜灯は源次郎にだけその予定を伝えていた。〝一週間後には王国に行く事になったきに、鉢巻を新調して欲しいぜよ〟と。宵宮で再会した同僚、糸依を連れた長旅となる予定だから、数年使い続けた鉢巻を買い換える調度良い機会だと思い立ったのが理由だった。

「なんだい竜さん。また言伝も無しに何年も雲隠れする気かい?」

伊代の方は初耳だったようで、目を細めて人の良い笑みを浮かべながら竜灯をなじった。それもその筈、竜灯は三年前に起きた神島での戦の後、つい半年ほど前まで帝都を離れ顔を出さずにいた。痛いところを突かれた、と言いたげに眉を八の字に顰めたかと思えば、竜灯は腰に片手を当ててにやついた。

「安心しとうせ、そがな事は無いちや。何しろ、まっこと美人な軍人と二人旅ぜよ。おまけにそん人はちっくと堅物やき、そのまま居なくなろうものなら首根っこ掴まれてすぐ帰郷じゃ。」

僅かに肩を竦めるような仕草を見せると、源次郎と伊代の表情も弛んだ。そういえば、と遅れて伊代に鉢巻を軽く持ち上げて見せると、伊代は快活な笑みと一緒に同じように片手を上げて返した。その間に呟かれた「それこそその女と一緒に駆け落ちでもしそうだな。」という源次郎の言葉には誰も反応する事は無かった。竜灯に限ってそうなるとは思えなかったらしい。一晩の関係ならありえるが、もし竜灯にそれが出来るなら今頃とっくに軍に居ないはずであるから。⋯⋯竜灯すらも反応しなかったのが少し寂しかったのか、源次郎はごほんと咳払いをひとつして話題を変えた。

「それなら暫く顔も見れねぇんだろうし、今夜は一杯やるか。他の奴にも声を掛けるぜ?」

「おっ、あたしも行くよ。みんな竜さんが王国に行くと聞いたら集まるよ、景気よく宴会場でも貸し切りにしようかね。」

「おぉ!そりゃあいいぜよ!!本場の刺身に尊華酒もきっと恋しくなるからの、呑み溜めておかんとじゃ!」

鉄仮面とまでは言わないものの淡々とした源次郎であるが、こう見えて気の利く良い男である。源次郎の言う他の奴とはこの宿場町の顔馴染みのことを指しており、竜灯とも交流の深い彼等を呼ぼうという計らいだ。伊代も二つ返事で乗っかると、心底楽しそうに表情を輝かせる竜灯を一瞥して鉢巻を指で指し示した。

「なかなか良い色に染まってるだろう?長旅には良い魔除けにもなると思うよ、ほら、早く巻きな。それともあたしに巻いて欲しいのかい?」

「ん?」と悪戯っぽい笑みと共に一歩近寄り、上体を倒すようにして顔を覗き込む伊代、齢三十幾許か。反論するのが藪をつついて蛇を出すと同義と思ったのか、珍しく軽口の一つも返さずに困った笑い顔を浮かべると、自分で鉢巻を巻こうと視線を落とし、手の上の鉢巻を黙って見つめていた。

「⋯どうした竜さん、どこか変だったか?」

黙りこくって、どこか上の空な竜灯に伊代は声を掛けることはなく、鉢巻におかしな所があったかと先に源次郎が振り向いて訝しげな表情で問う。「いや。」と短く呟いた竜灯は静かに鉢巻を持ち上げて、ゆっくりと額にあてがった。

「赤鉢巻には色々思い出があっての。ちっくと思い出しちょっただけぜ。そりゃあもう、聞くも涙、話すも涙の物語ぜよ⋯⋯」

「⋯⋯ほお。少し気になるな。おう、出立前に聞かせてくれ、初耳だぞ。」

きゅっ、と後ろで鉢巻をきつく縛るとあからさまに感情を込めて話しながら、大袈裟に首を振って笑う竜灯を見遣って源次郎はますます訝しげな表情を深くした。いつものわざとらしい与太話の類いだとは勘づいていながらもやはり気になったようで。木机に広がった道具を片付けながら反応した。

「いやーーー、源さんがそこまで言うならまぁ、酒の席で、かのー。お涙頂戴と思われそうじゃけんども、早めの土産話にはええかもしれないなあ。」
 
「お前のことだ、誇張がどれだけ入るか知らんがな」

大して期待はされていないのにも関わらず、しつこく勿体ぶる竜灯を冷めた声であしらった源次郎。

「そがな風に言いよって、俺の話を聞いて泣いても知らんぜよ。さぁさ、源さん早う早う!時は金なり善は急げとも言うぜ、今夜は飲み明かすちや!!」

見れば西日はもう暗くなり始めている。早く飲みたいが故に急かす竜灯と、「急かすな」と一蹴しながらも心無しか片付ける手を早めていく源次郎を眺める伊代。次に竜灯の鉢巻と良く似た色合いの真っ赤な襷を見下ろして、含み笑いを浮かべながら襷を解くのだった。

「⋯⋯っくく。今夜は面白い話が聞けそうだねぇ。」