この世界では、
”言葉”が魔力を持っていた。

糸依

華やぐ都のサムソン

清瀬/糸依 > (300頁程の小説を疾走するように黙読すること二時間、畳の匂いを腹に擦り付けながらようやっと後書きを拝むことができた。父の書斎から運良く発掘した全七巻の長編小説、折り返しに到達した達成感も喜びも、いつもより薄い。ある独立した時間軸における“世界”の主が記した零れ話、いつもならば心踊る筈の文字の羅列がどうしようもなく忌々しくて。パタン、と目の前で本を閉じれば赤土で汚れたような色の革表紙。うつ伏せになりつつ遊ばせていた両脚を鎮め、子供の頃の記憶を煽る匂いを肺に目一杯溜める。此処は阿岸の実家……“糸依”の出発点、そして“朱依”の終着点。寿命を迎えた白熱電球も、埃臭い敷布団も、家を発った16の日から何も変わっていない。ふと目があった写真の中の私はまだ幼くて、無垢な瞳が此方を暗に責め立てていた。)   (9/29 20:54:00)
清瀬/糸依 > 「……喉、乾いた」(梅雨の面影などとうに消え去り、今や夏本番を迎えようとしている。喉が乾きを訴える頃には体内の水分は既に不足しているとかしてないとか。麦茶を訪ね渡り廊下へ出れば、青い塗料の亀がガラス風鈴の水槽に悠々と佇んでいた。屈折した日の光を背に鈴の声で唄うその下で、何本もの編まれた糸がぶら下がり触角のように靡いている。あれは確かいつからあっただろうか、物心付いた時には既にあったような気もするが。恐らく意識いていないということは変わってもいないのだろう。そういえば、この家には編み物や刺繍の施された物が多い。綿や桑の栽培や蚕の養殖が盛んだったこの地域では、特産物として昔から編み物が行われてきた背景がある。阿岸は比較的四季もはっきりしており、平野が続いているから何かを育てるのにうってつけだったのだろう。昔に比べて生産数こそ減ったものの風習は“胡椴編み”としてまだ続いており、ミサンガや暖簾、ストラップ等に使われている。都市に出て来てからもたまに雑貨店で見かけることがあり、それがなんだか自分を肯定されているようで誇らしかった。   (9/29 20:54:25)
清瀬/糸依 > 今はもう営んでいる家は少なくて、この近所には私の家とあと一つ、もう40近くになる双子の兄弟が続けているぐらいだ。今になって考えると、そんな伝統工芸品に囲まれて幼少期を過ごしたからこんな歴史好きになったのだろうか。あまり編み物は得意じゃなかった記憶があるけれど。)「……あっ」(お母さんだ。襖越しのメトロノームがまな板を打ち付ける音。割烹着なんて着ちゃって、鼻歌なんて響かせちゃって。私が帰ってきたからせめて母親らしくと張り切っているのだろうか。お茶目で私よりも子供らしい母、それに呆れる私が、母親とはいえども他人は他人であるのだと気付かせる。古い縫いぐるみと収穫の終わった後の畑の匂いが、目に見えない煤の気流を伴い部屋に漂っている。薄焼き玉子を焦がしているのにも気付かず上機嫌で葱を刻んでいるのがあまりにもおかしくって教えてあげたら、目を丸くしては慌てて玉子を救出しだした。まるで巣が浸水した蟻のように取り乱す母を通りすぎ目的を済ませる。コップに麦茶を注ぎ一口。張り付いた粘膜や喉の壁から潤いと心地よさが伝導していく。   (9/29 20:54:43)
清瀬/糸依 > ──ふぅ、と冷気を孕んだ吐息を口内から追い出し、再度母へと視線を向ける。例の玉子はというと、見事な焦げ茶の生地に薄黄や山吹の斑点をあしらった何かへと成り果てていた。肩を竦めはにかむ母は私よりも幼く、そして無垢に見えた。)「何やってんの、食材が勿体ないじゃん。……私も手伝うよ、卵焼けばいい?」(徐に腰に手を当て睨んでみせれば、私よりも少し背の低い母が更に縮こまる。皹と古い刺し傷だらけの手を眼前に添え「ごめんね」と一言、この年になってもまだ、糸編みの家業を営む傍ら家事もこなしているらしかった。親孝行もせず家を出てしまったのに悔やむ気持ちがあるのは、流石長年過ごしてきたからなんてのではなく。私にだって母を愛する気持ちぐらいはある、刷り込みなんてのもあるのだ、生き物は幼い時に寵愛を受ければ自然と本能から懐くもの。フライパンの置かれたコンロの前に立ち、髪を後ろで括りあげたところで、ふと。──『髪、綺麗だね』。そんな言葉が脳をちらついて。)   (9/29 20:55:04)
清瀬/糸依 > 「ねえ、おたあさん」(気が付いたら、衝動のままに呼んでいた。メトロノームは停止し、風鈴の音は尚りん、と気まぐれに響く。そう、これは、母親らしいことをさせてあげる為に。)「髪、切ってよ」(沸々と泡を吐く黄色の表面を、ただじっと見つめる。懇願の裏には宣言、言わなければ実行できない呪いに掛かっているような気がして。少し目線を流せば、肯定の言葉の代わりに抱擁の笑みが返ってきた。自身を紡ぐものを、取っ払ってしまいたくて。“此処”にも、“本棚”にも、何処にも私は居ないような気がして。──やっぱりこの時から、変わりたかったのかもしれない。■■に、さよならの代わりに訣別を。)   (9/29 20:55:16)